会社での朝礼の話題としては、いささか『近親結婚』という表現に違和感を感じる方もおいでかも知れませんが、時間が許す限りお付き合い願えれば幸いです。
頓に、日本人の学習能力の高さは、今さら言うまでもなく、世界的に賞賛されている、物創りをはじ間とし卓越した表品開発力は、まだまだ世界に確固たる地位を築いている、では何故に学習能力をはじめとして、日本人の中に一様に備わっているのだろうか?
色々な要因があるかも知れませんが、やはり日本人同士の『血の濃さ』ではないだろうか?、タイトルは、近親結婚という怪しげなタイトルですが、日本列島という狭い、島国で知らず知らずに繰り返された結果が、今の日本民族が一様に持ている、良い意味でのDNAでしょう。
今、簡単に電卓をはじいて計算してみれば、自分には二人の親がいる、その親にも二人の親がいる、二代目前四人、その前は八人という具合に、二のN乗で親の数が増えるのはご存知でしょう、では二十代目の親の数はどれくらいと計算すれば、26代前でざっとですが、約6千万人の親がいることになります。
26代目前といえば、六百年前に相当するわけで、1400年当時と言えば、応仁の乱や足利義満が金閣寺を建立した時代に当たりますが、その当時の日本には約一千万人程度の人口しかいなかったはずです、一千万人しか人口がいないのに、自分の親が6千万人いると言うことは、明らかに計算のしすぎのようです、そこで少し逆算をすれば、ざっと23代前の計算でいけば、(安土桃山時代ぐらいか?)親の数と、日本列島の総人口とが大体等しくなるような気がします。
まあ、正確な年代はともかく、23代前までさかのぼれば、私たちの親は皆共通と言うことになってしまうわけです、ですからいくら他人と思っても、日本人同士は、二十三親等より近い親戚となるわけです、つまり確かに存在する日本人のDNAであり、ある素質が脈々と流れている理由はそこにあるのでしょう、その素質が学習能力と言うのもなのでしょうね。
各国の歴史的な結婚をマクロ的にみれば、まさに他民族との結合血の混じりあいが面々と繰り返されたことは周知の事実ですから、それから見れば、まさに日本人同士の結婚は、諸外国の歴史家から見れば、それこそ近親的な危険な結婚と映るかも知れませんね。
ではまた・・・・・